恵まれた凡才にできること。
気の置けない仲間との交流の時間。
つい出たのは今の上司の悪口。
それは自分の価値を貶めるものでしかないとわかっていた。しかし止められなかった。
自分に何を期待されているかわからない。
認められていない。
差別されているようにすら感じる。
文字に起こせば、何と幼稚な主観だろう。
他人に自分をわかってもらえると思うこと自体が、稚拙で厚かましい。
わかってもらえないのが当然。
届いていないのが平常。
しかし、そんな独りよがりな愚痴に、かつてのチームメイトや先輩は、真剣に耳を傾けフィードバックをしてくれた。
今日、思い出したことはふたつ。
ひとつ。他人は変えられない。自分の力で変えられるのは、自分だけ。
上司の愚痴を言うなんて、つまり上手く行かないことを上司のせいにするなんて、主体的でなさすぎる。営業マンは常に主体的でならなければならない。主体的でないことを、厳しく慎まなければならない。
ひとつ。与えられたチームは、自分にとっていつも最適だとは限らない。しかし、自分にとって最適と思える仲間は、チームの内外に必ずいる。
今日話をした仲間は、今私が所属しているチームのメンバーではないけれど、互いに理解し合い、踏み込んで話をし合える大切な人たちだ。そういう仲間が常に身近にいることを思えば、現状与えられているチームについて不満を持つなど、わがままに過ぎる。
僕は恵まれている。
僕はいつも恵まれている。
心ある仲間たちに、自らの凡庸を、ときには低能を、いつもフォローしてもらってきた。
それなのに、僕は主体的でなかった。
自分にできる最大の恩返しは、主体的であることだ。
湿度の高い気怠い夏の夜に、感謝と反省を同時に手に入れた。