不安の中の彷徨②
現場からプロモーションの部門に移って1年と半年。
たくさんの学びがあった一方で、現場への恋しさも募りはする。
今日あった撮影会にて、嬉しいことがあった。
撮影会に来てくれていたお客さんから、「これ読んでますいつも!」と感激気味に言われた。現場にいた頃につくり始めた営業ツールのことだった。
営業ツールなのだけれど、お客さんがサービスの利用中に目にする場所に貼られるものだから、営業色を抑えようと苦心してつくったものだ。お客さんの役に立つ情報を毎回探してコンテンツに変えるのはほんとうに苦しかった。
でも、見てもらえていたのだ。ちゃんと、ポジティブな心象でこれに接してくれていたのだ。
そんな感情論とともに、対となるもうひとつのツールでは、かなりCPR良好との結果が出ている。
きちんと成果につながっているのだ。
不安の中の彷徨
現場発の営業推進ツールをつくる。
これが僕の掲げた「やりたいこと」だった。
ツールをつくるたび、チームの仲間は口々に「素晴らしいね」「活用してるよ」「ありがとう」と、僕に声をかけてくれた。
それは本当に嬉しいことで、気弱な僕に自信を与えてくれた。それがあって続けて来れた。
しかし、一方僕はいつも疑っていた。
「本当に役に立っているのか?」「僕の一人相撲ではないのか?」
もとがネガティブな性格なだけに、常に不安を抱えながら、ふらふらと前に進んできた。
ところが今日の全社会議の際、そんな僕の不安を吹き飛ばす出来事が起こった。
会議が終盤を迎えたころ、前方の大きなスクリーンに、僕の名前が表示された。
社長賞特別賞の表彰だった。
こんな表彰があるなんて聞いていない。
驚きのあまり、ぼくは呆然としてしまった。
僕がこれまでつくってきた、
「現場発の営業推進ツール」は、
多少なり皆さんの役に立つものだった。
そうだったのか、みんなの役に立つものだったのか…
数百人の社員の前に立ち、自分が何を話したか覚えていない。
ただただ嬉しかった。
暗闇の中を手探りで歩んで来たみちに、一条の光が射したようだった。
間違ってなかった。
よかった。
認知度を上げる
なかなか定量化できないが、企業の広告活動において重要なことがある。
「認知度」だ。
我々の業態において、広告の効果は「問合数」で測られることが多い。
チラシを打ってたくさん問合せが起これば、そのチラシのクリエイティブや頒布地域は正しかったということになる。
しかし、問合せはしなかったが企業を記憶した、という生活者も当然いる。将来の見込客という意味で、こういった生活者も重要だ。即時に効果を測定しづらいが、認知度上昇を目的とした広告活動も長いスパンで考えると必要なものになる。
一方、やはり予算を投じるわけなので、それだけの価値があることの説得材料は必要だ。感覚だけに頼るわけにはいかない。ここが、現場で草の根活動的に広告をつくることとの違いだ。
比較的低予算で実現でき、かつ現場の社員が喜ぶ。
そういった企画を考えていく。
いくつか案はあるけど、それはまだ、企業秘密笑
現場の価値を忘れない
現場で現場の仕事をしながら、現場発信の広告で現場で生まれた顧客価値を提供し続ける。
というのが私の決意だった。
が、会社の辞令により、広告の部署に異動になってしまった。
周囲からは、「栄転ですね」と言われる。
現場から本社への異動は、一般にはそう見えるのだろう。
私自身は、子どもが好きで、営業という仕事に誇りを持っていたので、この異動には悔しい思いがある。
また、定量的なデータからは見つけられない広告手法を、現場で生み出してきた自負がある。
逆に言うと、マーケティング的な発想から広告戦略を考えたことがないということでもある。
データを分析し、マスで全社の戦略を練るという仕事が自分にできるであろうか。不安はある。
しかし、現場で感じた、「こんな広告戦略だったらいいのに」を実現するチャンスでもある。
現場の価値を忘れない。
それができれば、私が働く場所が現場でなくても、私のやりたかったことは実現できるはずだ。
現場が生む広告の価値
プロの広告屋と張り合う気はない。
僕は知っている。あの人たちがどれだけ常軌を逸して知的で貪欲か。
真に知的な人間は、ただ物を知っているような顔をしない。相手を楽しませつつ、後で気付けばそこにたくさんの知が埋蔵されている。そういう仕事をする。
会話においても、そして、広告物においても。
僕がいくら言葉やデザインに時間をかけて勉強をしても、それは所詮素人の手習いの域を出ないのであって、あのひとたちの知性には及ぶべくもない。
広告物は、主に4つのものから構成される。
言葉。
絵。
写真。
デザイン。
そのそれぞれに、本来であればプロの仕事屋がいる。
それをぼくひとりで行ったのだから、その制作物は各分野のプロの仕事の集大成たる制作物に比べることはできない。
しかし、現場の営業マンがつくる広告物・販促物には、おおきく3つのメリットがあり、場合によってはプロのつくる広告物を凌駕することがある。
1つ目は、コストが低いということだ。現場に与えられる予算には、使い道の裁量が少ないか全くないことが多い。そんな状況のなかでも、自分でツールをつくればコストをかけずに武器が増やすことができる。金の話は身もふたもないが、実はこれが2つ目のメリットを生む。
その2つ目のメリットとは、トライアンドエラーが容易だということだ。部や全社規模の広告には多大な費用がかかる。だからマーケティングを行い、計算のうえで手を打つことになる。それは失敗の少ない方法だが、理屈を超えた成果を得られないというデメリットもある。
その点、現場ツールには、低予算ゆえに「思いつき」が許される。数値の検証なくいきなり「結論」を得ることができる。だから思い切った手立てを試すことができる。失敗したらやめればよく、そこにマイナスはない。
この活動を繰り返せば、ときにマーケティング活動からは生まれなかった新しい広告物や、広告物の使い方が生まれることがある。
3つ目は、現場の思いを込めることができることだ。
プロのつくる言葉は、もちろん美しい。単に美しいということでなく、コミュニケーション効率も考慮されて機能的な意味で美しい。言葉は日常で誰もが使うものなので、デザインやイラストと違って、自分にも比較的簡単に扱えるのではないかと錯覚しやすいが、短い言葉で人を動かすことは、実は大変難しい。いや、短くない言葉であっても、難しい。プロのコピーライターとは、その点においてのプロだ。だからコピーライターの書くコピーは美しい。
しかし、プロのコピーライターにないものを、現場で働く人間は持っている。顧客と直接に接し、自分の手で価値を提供し、その耳でお礼の言葉を聞いている。
顧客に伝えたい価値そのものを、私たちは持っている。プロのコピーライターは、伝えたい価値を取材や勉強によって、いわば間接的に知る。この違いは大きい。
現場営業マンがつくる広告物には、こんなメリットがある。最終的に総合的に、プロがつくるものにはかなわない。しかし価値は住み分けされている。現場の人間が小さなクリエイティブを積み上げることには意味がある。
仲間の行動の結実
全社で使用できる販促物を作成した。
コピーを考え、イラストを描き、デザインを行った。
そのためにたくさん本を読み、真似できそうなデザインを蒐集した。
その結実が、昨週全社に配布された。
何人かの仲の良い社員から、コメントをもらった。東京全体の会議でも、使い方やコンセプトについて話をさせてもらった。
あとは、これが結果になればよい。
ぼくがいちばん嬉しい結果は、「これを使ってよかった」という声だ。つまり、仲間からの評判だ。
今回つくったツールは、もともと会社になかった種類のものを、当時のチームで考え、生み出し、使い続けることで育ててきたものだ。
実は、必ずしも毎回目に見える成果になったわけではない。しかし、仲間からの「ありがとう」「このチラシ好き」「お客様に渡しやすい」そういった声があって、使うことが許されてきた。仲間がぼくのつくるツールを育ててくれた。
今回もそうなることを望む。
そして、全社という規模で実行できたからには、問い合わせや入会の増加につながったという成果を望む。
次回も使いたいという声があがることを、望む。
自己の未来は、枠組みをはみ出せばよい
よくよく考えると、「広告制作の実地経験が多少なりともあり、コピーとイラストとデザインがそれなりにできて、パワーポイントの扱いに長けた現場の営業マン」という存在は、意外と希少なのではないか。価値があるかは、実力次第であるにしても、希少であることは間違いない。
単なる営業マンであれば、売り上げが全てになる。そしていま、私はその点でさほど優秀ではない。
しかし、現場から発想した営業ニーズを独力でツールに具現化する能力においては、かなり優秀なほうであると自負できる。
これで、営業マンとしての実力が高まったら。
一冊本を書ける、と本気で思う。
今日コピーライター向けの本を読みながら、自身の未来を考え、そんな夢想をした。
私たちは、既に名前のついた仕事を目指しがちだ。それ以外の発想力を持っていないとも言える。
けれど、既知の枠組みに自分を当てはめる必要は全くない。会社の用意した役職にこだわる必要もない。
自分に向いていて、自分がやりたく、会社や社会のために仕事があれば、今ここにない仕事でも全くかまわないはずだ。
私のビジョンが明確になった。
あとは泥臭く、前へ進むだけだ。